――『ワイズカンパニー』に学ぶ、実践知と同友会の学び――
皆さま、こんにちは。いちご会計事務所の足立です。

最近あらためて、野中郁次郎先生と竹内弘高先生の『ワイズカンパニー』を読み返しました。
この本は、知識をただ「集める」だけではなく、現場で試し、学び直し、成果へつなげていく会社のあり方を描いた一冊です。
その中心にあるのが、フロネシスという考え方です。
日本語では「賢慮」や「実践知」と訳されます。
フロネシスとは、知識や経験を土台にしながら、その場の状況、人への影響、倫理や善悪を踏まえて、「いま何が最善か」を判断し、実行に移す力のことです。
私はこの考え方こそ、変化の時代における経営者の判断力を真正面から言い当てているものだと感じています。
「間違わない判断」は、数字だけではつくれない
会計士・税理士の仕事をしていると、日々、数字に関するご相談をいただきます。
「値上げしても大丈夫でしょうか」
「この投資は回収できますか」
「借入を増やすべきでしょうか」
「人を採るべきか、外注にすべきか」
もちろん、数字はとても大切です。
決算書や試算表は、会社の現状を映し出してくれます。
しかし、数字だけで答えが出ることは、実はそれほど多くありません。
数字は「何が起きているか」という事実を教えてくれます。
しかし経営者に問われるのは、その先の「では、どうするか」です。
ここに、フロネシスが必要になります。
経営は、正解が一つに決まる世界ではありません。
同じ数字を見ても、経営者によって判断は分かれます。
その差は、単なる知識量ではなく、「何を大切にし、誰のために、どの未来を選ぶのか」という判断の軸にあります。
フロネシスとは、「正解探し」ではなく「筋の良い判断」
フロネシスは、マニュアルで身につくものではありません。
アリストテレス以来語られてきたこの言葉は、近年では「practical wisdom」、つまり実践的な知恵として捉えられています。
経営におけるフロネシスとは、理念と現実をつなぐ力です。
どんな価値を優先するのか。
誰にどのような影響が出るのか。
現場では何が起きているのか。
そのうえで、何を決め、どう実行するのか。
この一つひとつを、自分の頭で考え、腹に落とし、責任を持って決断する。
それが経営者に求められる実践知なのだと思います。
野中先生は、フロネシスは「幅広い教養」と「修羅場の経験」から生まれると述べています。
経営は、いつも平時ではありません。
むしろ、資金繰り、採用難、値上げ交渉、事故、クレーム、取引先の方針転換など、小さな修羅場の連続です。
そのときに、目先の損得だけでなく、社員、お客様、取引先、地域、そして会社の未来を見ながら判断できるか。
そこに、経営者としての力量が表れるのではないでしょうか。
同じ数字でも、判断は分かれる
たとえば、粗利率が下がっている会社があるとします。
ある会社は、値上げを恐れて薄利のまま仕事を続けます。
結果として、忙しいのに利益が残らず、社員の処遇改善もできない。
一方で別の会社は、自社が提供している価値を言葉にし、お客様や取引先と丁寧に対話します。
そして必要な価格改定を行い、利益を守り、社員の給与や職場環境の改善につなげていく。
同じ「粗利率が下がっている」という数字でも、その後の判断はまったく違います。
この差は、財務諸表を読む技術だけではありません。
「何を守るために、何を変えるのか」を考える力の差です。
もう一つ、人件費の判断もそうです。
赤字が出たとき、人件費を削ることは一見わかりやすい対策です。
しかし、そこで会社の中核となる人材まで失ってしまえば、翌期以降の回復力を大きく損なうことになります。
フロネシスのある経営者は、「削るべきコスト」と「残すべき投資」を分けて考えます。
この“分ける力”こそ、経営者の判断力です。
フロネシスは、どう養われるのか
では、フロネシスはどのように養われるのでしょうか。
私は、経営者にとって大切なことが五つあると考えています。
一つ目は、判断の軸を言葉にすることです。
「わが社は何を大切にする会社なのか」
これを社長自身の言葉で語れることが大切です。
ここが曖昧なままだと、迷ったときに判断がぶれます。
二つ目は、反対意見を情報として受け取ることです。
社長の周りに「それは危ないと思います」と言える人がいるか。
そして社長自身が、その声を敵意ではなく、判断材料として受け止められるか。
この姿勢がある会社は、修羅場でも立て直しが早いと感じます。
三つ目は、現場に行くことです。
数字は結果です。
その原因は、現場の動きやお客様の感情の中にあります。
会議室だけで考えるほど、判断は机上のものになってしまいます。
四つ目は、振り返りを習慣にすることです。
経験は、経験のまま放置していても知恵にはなりません。
「あの判断はなぜうまくいったのか」
「なぜ失敗したのか」
「次に同じことが起きたら、どうするのか」
こうして言語化して初めて、経験は実践知へと変わります。
五つ目は、教養を入れることです。
私は、経営者にとって読書はとても大切だと思っています。
今は、インターネットでもAIでも、知識は簡単に手に入ります。
しかし、読書には単なる情報収集とは違う力があります。
それは、考える力を養うことです。
知識をただ覚えるのではなく、なぜそうなるのか、どういう背景があるのか、自分の経営に置き換えると何が見えるのかを考える。
その積み重ねが、知識を教養へと深めていきます。
歴史の年号を覚えているだけでは、単なる物知りにとどまります。
しかし、その出来事がなぜ起こり、どのように社会を動かし、他の地域や時代とどうつながっていたのかを考えるとき、その知識は教養になります。
経営者に必要なのは、まさにこの教養です。
教養は、判断の幅を広げ、目先の損得だけではない見方を与えてくれます。
同友会の学びは、フロネシスを養う場である
このように考えると、同友会の学びは、まさにフロネシスを養う場だと感じます。
同友会では、会員一人ひとりが主人公として、知恵と経験を出し合い、本音で謙虚に学び合い、学んだことを自社で実践することを大切にしています。((一社)福岡県中小企業家同友会)
例会での報告、グループ討論、仲間からの率直な問いかけ。
そこには、単なる知識の交換ではなく、「自社ならどうするか」「経営者として自分はどうあるべきか」を考える機会があります。
また、同友会は「自主・民主・連帯」の精神を大切にしています。((一社)福岡県中小企業家同友会)
これは、経営者が自ら考え、自ら学び、仲間と共に高め合う姿勢そのものです。
経営者は孤独になりがちです。
しかし、孤独なままでは判断が偏ることもあります。
仲間の経験に学び、自社の課題を語り、時には厳しい意見を受け止める。
その積み重ねが、経営者の実践知を鍛えていくのだと思います。
フロネシスは、会社の未来の利益を守る
野中郁次郎先生は、2025年1月25日に逝去されました。
先生が遺された多くの知見の中でも、私はこのフロネシスという概念が、これからの経営者の現場に深く残っていくものだと感じています。
経営とは、正解が見えない霧の中で、決めて、責任を取り、また決める仕事です。
そのときに必要なのは、数字を見る力だけではありません。
現場を見る力。
人を見る力。
価値を考える力。
そして、共通善に基づいて、より良い未来を選ぼうとする姿勢です。
フロネシスを養うことは、会社の「未来の利益」を守ることでもあります。
社員が安心して働ける会社をつくる。
お客様に必要とされ続ける会社をつくる。
地域にとってなくてはならない会社をつくる。
そして、経営者自身が学び続け、成長し続ける。
その地道な積み重ねが、結果として「間違わない判断力」につながっていくのだと思います。
私たち同友会の学びもまた、知識を得るためだけのものではありません。
学びを自社に持ち帰り、実践し、振り返り、また学ぶ。
その循環の中で、経営者としてのフロネシスは磨かれていきます。
変化の時代だからこそ、数字だけに頼らず、理念だけに留まらず、現場と未来を見据えた判断をしていきたいものです。
そしてそのためにも、これからも共に学び、共に実践し、共により良い会社づくりを進めてまいりましょう。