
担雪埋井
皆さま、こんにちは。
いちご会計事務所の足立です。
「担雪埋井(たんせつまいせい)」という禅の言葉があります。
文字どおりには、「雪を担いで運び、井戸を埋める」という意味です。しかし、井戸に雪を入れても、雪はやがて溶けてしまいます。何度運んでも、井戸はなかなか埋まりません。
傍から見れば、成果のない、無駄な仕事のようにも見えます。それでも、すぐに結果が表れないからといって投げ出さず、なすべきことを黙々と続ける。その姿を表した言葉だといわれています。
この言葉を知ったとき、私は、社員とともに会社をつくっていく営みも、これに似ていると感じました。
会社は、経営者一人ではつくれない
どのような会社にしたいのか。誰のために、何のために事業を行うのか。お客様や地域に、どのような価値を届けるのか。これらを考え、決断することは、経営者にしかできない仕事です。
しかし、経営者一人の力だけで会社をつくることはできません。
お客様と向き合い、商品やサービスを届け、現場を改善し、日々の仕事を積み重ねるのは社員です。経営者がどれほど立派な考えを持っていても、それが社員に伝わらず、日々の仕事に表れなければ、会社の力にはなりません。
会社は、経営者が一人でつくるものではなく、社員一人ひとりとともにつくっていくものだと思います。
理念を、繰り返し語る
社員とともに会社をつくるうえで、中心となるのが経営理念です。理念とは、額に入れて掲げておく言葉ではありません。
自分たちの会社は何のために存在するのか。
どのようなお客様に喜んでいただきたいのか。
社員に、どのように成長してほしいのか。
地域の中で、どのような役割を果たしたいのか。
こうした問いに対する、会社としての答えが理念なのだと思います。
理念が明確であれば、社員は日々の仕事の意味を考えることができます。たとえば、お客様からのご意見を社内で共有するのは、誰かの失敗を責めるためではありません。よりよい商品やサービスを、会社全体でつくっていくためです。仕事の意味が理念と結びついたとき、社員は指示された作業をこなすだけではなく、自ら考え、工夫を始めます。
ただし、理念は一度説明しただけでは根づきません。朝礼で話し、会議で確認し、面談で語り合い、問題が起きたときには理念に照らして考える。具体的な仕事と結びつけながら、何度も繰り返し伝えていく必要があります。
今日話したからといって、明日すぐに社員の行動が変わるわけではありません。それでも、経営者が語ることをやめれば、理念は会社から少しずつ薄れていきます。
理念を語ることは、雪を運ぶ仕事によく似ています。
社員教育は、会社づくりそのもの
社員教育というと、仕事の手順や技術を教えることを思い浮かべます。もちろん、それも大切です。しかし、なぜこの仕事をするのか、お客様にどのような価値を届けるのか、仲間とどのように協力するのか。こうしたことをともに考えるのも、社員教育です。
教育とは、経営者が一方的に答えを教えることではありません。経営者と社員が対話を重ね、理念を自分たちの仕事に置き換えながら、ともに学び、ともに成長していくことではないでしょうか。
そして、社員に教える中で、経営者自身が気づかされることがあります。
私自身、恥ずかしい経験があります。事務所運営で「人を生かす経営」を理念の柱に掲げ、ともにあてにしあてにされる信頼関係づくりが必要といいながら、繁忙期に無理な日程の仕事を引き受け、そのしわ寄せを職員に回していたことがありました。ある職員から「所長がおっしゃっていることと、やっていることが違います」と言われ、返す言葉がありませんでした。自分の判断が理念とずれていたことに、指摘されるまで気づいていなかったのです。
社員教育は、社員だけを育てるものではありません。社員と向き合うことを通じて、経営者自身も育てられていきます。そう考えると、社員教育は、まさに会社づくりそのものです。
溶けた雪を、経営者の側から見つめ直す
時間をかけて仕事を教え、理念を伝え、成長を支えてきた社員が退職することもあります。
そのとき、「これまで教えてきたことは何だったのだろう」と感じることもあるでしょう。雪を運んでも、井戸の中で溶けてしまうような気持ちです。
ただ、その気持ちのまま次に進んでしまう前に、一度立ち止まりたいと思います。その社員は、なぜ辞めたのか。労働条件に無理はなかったか。仕事の意味を伝えきれていたか。悩みを話せる関係をつくれていたか。経営者の側に、原因はなかったか。
同友会の労使見解が、環境の厳しさを口実にせず、まず経営者自身の責任から説き起こしているのは、この問いを避けないためだと私は理解しています。退職を「溶けた雪」として片づけてしまえば、同じことが繰り返されます。
そのうえで申し上げるなら、一人の社員が辞めたからといって、それまでの教育がすべて無駄になるわけではありません。教える過程で仕事の進め方が整理され、経営者の考えが言葉になり、残った社員がその姿勢を見て学んでいます。社内に、人を育てようとする文化が少しずつ生まれています。
雪は溶けても、雪を運ぶ道は、少しずつ踏み固められていくのだと思います。
語った言葉を、自らの判断で裏づける
一方で、理念を言葉で語るだけでは、社員の信頼は得られません。
「社員を大切にする」と言いながら、社員の話を聞かない。
「挑戦を応援する」と言いながら、失敗した人を責める。
「お客様第一」と言いながら、現場に無理を押しつける。
言葉と行動が違えば、社員は理念を信じなくなります。
このとき、雪が溶けているのではありません。井戸の底が抜けているのです。どれだけ言葉を運んでも社員の中に何も残らないのは、語り方が足りないからではなく、経営者の判断が自分の言葉を裏切っているからです。
理念とは、都合のよいときに語る言葉ではなく、迷ったときに立ち返る判断基準です。経営者自身が理念に問いかけながら判断し、行動する。その姿を社員に見せることが、何よりの教育になるのだと思います。
共に学び、共に育つ
会社づくりには時間がかかります。理念をつくったからといって、すぐに全社員が同じ方向を向くわけではありません。教育に取り組んだからといって、すぐに人が育つわけでもありません。
それでも、社員の可能性を信じて、理念を語り、教育を続けていく。同時に、経営者だけが社員を育てるのではなく、社員の意見に耳を傾け、現場から学び、経営者自身も変わっていく。そこに、人間尊重の経営があるのではないでしょうか。
同友会もまた、経営者が一人で悩むのではなく、仲間と経験を持ち寄り、互いに問いかけ、学び合う場です。
自社の理念は、本当に社員に伝わっているだろうか。
社員を、会社づくりの仲間として尊重しているだろうか。
経営者自身が、理念に沿って行動しているだろうか。
私自身、この問いを前にすると、いまだに胸が痛みます。それでも、こうした問いを持ち寄り、互いの実践から学ぶことで、私たちは、よりよい会社、よりよい経営者へと近づいていけるのだと思います。
雪は井戸の中で溶け、形を残さないかもしれません。理念を語り続けた時間が必ず報われると、約束できるものでもありません。
それでも、社員と向き合った時間は、社員の成長となり、信頼となり、社風となって、いつのまにか会社を支える力になっている。私はそう考えて、これからも雪を運び続けたいと思っています。
いちご会計事務所 足立知弘