社員が自主的に働く仕組みづくり

〜育ててくれた会社への恩返し〜

株式会社 丸屋 代表取締役社長 家迫 崇史 氏 【玄海支部】

株式会社 丸屋 代表取締役社長
家迫 崇史 氏 【玄海支部】

指示されてするのは『作業』、自分で考え行動するのが『仕事』。
言うは易く、行うは難し。
社長は、社員がワクワクするような仕組みを考える日々です。

業務内容

「創業は昭和28(1953)年ですから、来年で70周年になります」と話すのは㈱丸屋の4代目社長の家迫崇史さんです。寝具などのレンタル&リース業と、福祉用具の貸与・販売や介護・リフォーム住宅改修などの在宅介護事業の2本柱です。 初代・原幸之助さんは、寝具のレンタル&リースを始めました。高度成長期は建設ラッシュで職人さんの宿泊施設や、大手企業などの研修センターに寝具の貸し出し事業で発展していきました。2代目、原康幸さん(81年~)、3代目、原康一さん(99年~)と同族経営が続きます。

ライフプラン作成

 家迫さんは、昭和52(1977)年北九州市八幡西区に生まれます。高校を卒業して仕事を転々としていたところ、求人誌で丸屋を知り、即入社します。

 自らが「ターニングポイント」というのは入社して間もなくの研修でした。3代目社長が企画した『ライフプラン研修』で、「人生計画を持ちなさい」という主旨のものです。

 まず紙が渡され、過去を自己分析していきます。横線を時間軸(年齢)にし、上部を良かった時期、下部を悪かった時期として折れ線グラフにして表しそれぞれの時点で出会った人を重ねていきます。

 次に未来を描いていきます。これは当然、右肩上がりになっていきます。そこで家迫さんは質問しました。「この会社では、社長になるチャンスはありますか?」3代目は答えます。「この会社が生き残っていくためには、誰にでもチャンスはあります」。家迫さんは35歳で社長になると書き込みました。逆算して、福岡支店長になる、結婚する、子供誕生などを書き入れていきました。

 このことが強い印象となり、潜在意識となっていきました。「実際に35歳で常務、38歳で専務、39歳で社長になりました。先代にも子供がおり、もしあの時、その子供が社長になった時、サポートしてくれる人材が欲しいと言われたら、私の人生も変わっていたでしょうね」と家迫さんは話します。また後日談として、「実は先代も、55歳で会長職に就くと描いていたそうです」。二人の思惑が一致していたのでした。

 家迫さんは、外部の研修会に出させてもらったり、経営書を読みあさったりして経営の面白さに目覚めるのでした。同友会にも黒木義彦さん(㈱黒木建設/玄海支部)の紹介でこの時期に入会しています。

経営再建に向けて

 バブルが弾け景気が後退していく中で、寝具のリースの市場規模は縮小していき、同社は債務超過に陥っていきます。3代目社長は、経営再建に向けてコンサルタントを招きました。コンサルタントの一番最初の質問は「社長に人生目標はありますか?」でした。「社長に人生目標がない会社は無くなりますよ」と言われ、同社は『理念経営』にシフトしていくのでした。売り方、儲け方のテクニックではなく、スタッフにもまず『ライフプラン』を持つことが大切だと教えられ、家迫さんは「人生計画と同じだ」と痛感しました。

 経営計画書を作成し、中期計画のもとPDCAを回していきます。特に計画通りに行かない場合はその理由を徹底的に分析し、改善を図っていきました。

 社内の幹部には財政をガラス張りにして危機感を共有したと言います。経営計画発表会には銀行も招き社内の本気度を示しました。毎月、社長が銀行に出向き月次の決算報告するのを、家迫さんも同行して傍らで聞いていたと言います。

自分を育ててくれた会社への恩返し

 4代目に就任するにあたり、家迫さんは相当な覚悟をしました。同族以外からの継承で実際に、「あなたが作った借金じゃないから継ぐ必要はない」「出資してあげるから自分で事業を起こしなさい」などの誘いもあったそうです。それでも借金をすべて背負い、引き継ごうと決断したのには「小僧で何もわからない自分をここまで育ててくれた会社に恩返ししたい」という気持ちでした。2016年に就任します。

丸屋イズム

 もともと存在していた経営理念では、初代が和の精神、2代目が愛の精神、3代目が誠の精神を謳っていました。そこに加えるよう進言されましたが「それはおこがましい」と辞退しました。理念は継承しつつ、自分がこの会社で学んだことを『丸屋クレド』『丸屋フィロソフィー』として著しました。根底にあるのはスタッフ第一主義です。これらを総じて丸屋イズムとして浸透を図っていきました。朝礼や会議のたびに唱和していましたがコロナ禍で中止し、現在ではランチミーティングとしてチーム内の2名以上でランチに行くことを奨励しています(千円補助)。また丸屋イズムの浸透の評価は数値化が難しく、360度パノラマ評価制度と称して、周りのスタッフが評価する制度を導入しています。

同友会では人磨き

クレド第10条には『人と出会い、関わることで自分を成長させ、自分の足りないものを教えてくれる。だからこそ、人との「縁」を大切にせよ』とあります。同友会ではまさにその実践で会員との関わりを大切にしています。

入会前にゲスト参加した玄海支部例会では黒木さんが、『俎の鯉』として、自社の経営課題をさらけ出し会員からアドバイスを受けていました。家迫さんは「そこまで自分をさらけ出すんですか?」と言うと「経営で困っていることは一人では解決できない。何人もの方から知恵をもらうんだ」という言葉に痛く感動しました。同友会では本音の付き合いをしています。

社長の判断

 リース業で最大のコストは『配送費』にあります。お客様に「今日持って来い!」と言われ対応するスタッフがいました。これでは利益が上がらずスタッフが疲弊するばかりです。家迫さんは改めて顧客のABC分析を試みました。そうするとパレートの法則(全体の数値の8割は、全体を構成する2割によって形成される)通りになるのですが、逆に売上に貢献していない2割の顧客に8割の時間を費やしていることが判明しました。

 そこで家迫さんは「お客様に、配送はあらかじめ段取りを組んでおり当日配送は別途料金をいただきますと丁寧に説明をしなさい。それで文句を言うなら、お断りしなさい」と指示しました。「この判断は社長にしかできません。お客様第一主義ではなく、スタッフ第一主義です」。さらにメインのお客様により多くの時間を費やすことで、新たな相談を持ち掛けられるなど好循環になり、会社の業績は好転して行きました。

自社の強み

 リース業における同社の強みは品質や清潔感もさることながら、『安さ』です。高級ホテルを相手にしているわけではないので、いかに安価で提供するかです。単なる安売りではなく、例えば「複数階の建物にあっては階下に配送品を集めていただければ安くします」「引き取りに来ていただければ安くします」など、コストダウンの提案をしています。

 介護業においての強みは『速さ』です。迅速さを売りにしています。

 今後の展開については、『丸屋ミッション』において、業務の領域を、介護事業に注力していくとしており、『丸屋ビジョン』では期限を区切り、九州№1を目指すとしています。「そのためには企業拡大のため、志を同じにする企業とのM&Aを視野に入れていま

 達成すれば報奨金を出しています。「目標を立てれば、意識が変わり、行動が変わり、習慣が変わり、人格が変わります。それが大事なんです。」さらにはお客様に対してアンケートを実施し、その評価をスタッフにフィードバックし改善の気づきにしてもらう仕組みを考えています。「社員が自主的に働けば、社長は方針・人事・計画など重要なことに集中できます」と締めていただきました。

取材協力ありがとうございます。

株式会社 丸屋

創業 1953年10月
設立 1960年8月
住所 春日市昇町3-16
電話092-584-1911
従業員数70名
URLhttps://rental-maruya.com/
事業概要 寝具類のレンタルリース販売及び介護用品のレンタル販売。

取  材 広報部
文章担当 菅原 弘(東支部)
写  真 富谷正弘(玄海支部)

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