ときを紡いで想いをつなぐ 株式会社谷弥

今回は、100年企業の取材として、創業1865年から続く株式会社谷弥さんを訪問してきました。

■谷弥の起源
 創業者の谷彌平氏は、1853年生まれで、1865年12歳の時、魚類・穀類・煙草・履物等諸雑品の行商を始めたのが、株式会社谷弥の起源です。その後、呉服、米国仲買、両替商へと事業を広げ、呉服地では、京阪神、中国、四国まで販路を拡大したそうです。そしてサミュエル商会(後のシェル石油)の九州特約業者となり、樟脳や雑油の販売を開始。筑豊地区の石炭景気の波にも乗り、業績を上げていきます。その後、石炭景気の鎮静化、日清、日露戦争による特需と戦後の不況など情勢は大きく変わる時代でしたが、石炭景気を一過性のものと捉え、地道な経営を続けてきました。常に時代の風を読み、精力的に多彩な事業を手掛けてきた創業者の熱い思いは、今も谷弥グループの多角化路線として、脈々と受け継がれています。

創業者 谷 彌平 氏  7代目 谷 弥寿彦さん

■世代交代と分社化
 1897年、創業者彌平氏の娘婿、悦太郎氏が事業を継ぎ、1907年には更なる事業の拡大をめざし、谷弥合名会社を設立します。世界恐慌が始まった厳しい時代でしたが、地道な経営で事業を拡大していきます。また多様化した商売の効率化を図るため、呉服の卸・小売、諸油・荒物の販売、乾物・食品の販売、履物・靴の製造販売、洋物の販売の事業を各店舗に分割、更なる発展をめざします。
 その後、太平洋戦争が勃発、いろいろな商品が配給制になり、我慢の経営が続きますが、終戦後、石油配給制の廃止にわせて、シェル石油特約店として復帰。石油販売事業を拡大していきます。しかし、2度のオイルショックが起こり、経営基盤の強化を図るべく、不動産開発、賃貸事業に進出。直方市に商業ビルを建設し賃貸を開始。小倉南区にも大型ショッピングモールを建設。石油販売事業についても、新たな石油元売りとの取引開始に伴い子会社を設立。飲食事業もラーメン店を皮切りに、お好み焼き屋、焼肉屋、ファーストフードなどを展開。その後、スクラップアンドビルドを繰り返しながら、自動車関連の事業として、レンタカー事業や自動車用品販売事業に進出し、9割以上を占めた石油関連の売上比率を下げるよう取り組んで来ました。

昭和初期の支店

■新たな時代への挑戦
 1999年、現代表である谷弥寿彦さんが谷弥合名会社の 7代目代表社員に就任。翌年、施設運営管理会社として設立していた株式会社谷弥と合併。存続会社を株式会社谷弥とし、不動産管理業務を開始。カルチャー事業として、音響・映像媒体の販売、映像媒体のレンタル、中古書籍の買取・販売などの事業を開始。また、自動車整備・板金塗装分野に進出、さらに混迷する石油業界での生き残りを掛けて、給油所をセルフサービス型店舗に改装するなど、時代に合わせた形態に変化させています。また、今では株式会社谷弥がグループ会社の持株会社としての役割も持つようにもなっています。

■現代の谷弥グループとこれからの展望
 現在、谷弥グループは、その中核となる株式会社谷弥の他に、谷弥石油株式会社、株式会社エンドレス、株式会社酒まつり、株式会社サウスオーの5社で構成されています。不動産事業部、飲食事業部、ライフサポート事業部、経営企画室、総合エネルギー事業部、保険事業部、SS事業部、ビーグル事業部、オートバックス、酒まつり、サーティワンアイスクリームなどの暮らしにまつわる数々の事業を手掛け、社員210名、パート300名のグループ会社となり、発展してきました。時代は変わっても、谷弥グループが提供してきたものは、「お客様のため」という基本精神から生まれた「安心」と「おもいやり」です。これからも「ひと息つけるひとときを」お客様に提供し続ける谷弥グループは、それを提供するスタッフを主役として、新しい歴史を紡いでいます。

▶ 創業
 1865年
▶ 設立
 1907年4月
 (旧社名:谷弥合名会社)
▶ 会社所在地
 直方市神正町3-32
▶ 電話番号 
 0949-24-7784
▶ 従業員数 
 正社員210名 パート300名
 (グループ全体として)
▶ 事業概要
不動産事業 、ライフサポート事業、飲食事業

2025年10月23日

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